キカフ慰霊碑

先日、キリマンジャロ空港近くの『キカフ』という場所に視察に行ってきました。

『キカフ』は、キリマンジャロ空港からモシに向かう『アル―シャーホリリ道路』を車で20分ほど走ったところにあります。『アル―シャーホリリ道路』は、東アフリカの回廊整備の一環として、日本政府が整備を行う予定の道路です。

単調な直線道路が延々と続く、、、。

アフリカの道路には、そのようなイメージがありませんか?

アル―シャーホリリ道路も、概ね平坦かつ単調で、基本的には道路のハンプ(クルマを減速させるために道路に設けられたかまぼこ状に盛り上がったもの)で車は減速するものの、その他の場所ではスピードを競います。

そんな単調な道が続く中、『キカフ』付近に限っては、高低差があり、ヘアピンカーブも現れます。もともと、少し小高い山と山の間に川が流れているような場所で、当然夜間は照明もなく、大変危険な所です。

道路整備事業の一環として、今後、この『キカフ』では今の道路を使わない形で、約500m離れたところに大きな橋を整備して、高低差や蛇行運転をしなくてもいいように新しい道路と橋を建設する予定となっています。

その『キカフ』の小高い山を登りきる手前の道路脇に、小さな慰霊碑があります。

昭和60年11月21日早朝、当時のマラウイ・ザンビア・タンザニアに派遣されていた日本人の青年海外協力隊員10名が、タンザニア人が運転するマイクロバスと共に路線バスと衝突し、運転手と隊員6名が即死しました。

事故は坂道の上り始め。片側は切り立った岩肌で、マイクロバスは、その岩肌と路線バスに挟まった状態になったそうです。早朝の暗いうちで、しかも、延々と続く直線道路が、突然、急カーブになる場所。またここは、キリマンジャロ山が良く見えるスポットで、よそ見運転もしたくなるような場所のようにも感じました。

約1年後の昭和61年11月、事故の生存者のひとりが発起人となり、ここ『キカフ』に慰霊碑がたてられたのは、悲惨な事故を忘れないように、そして二度と同じような事故が起きないようにとの想いを込めてのものでした。事故の際に散乱した窓ガラスの破片や小石に犠牲者の名前を書いて、慰霊碑の土台の内部に埋めたそうです。

私が訪れた時は、慰霊碑の周りはきれいに清掃されていました。碑の上には、トカゲがまるで番をする守り人のように私の訪問を迎えてくれました。運転手によれば、近くの農夫が定期的に清掃しているそうです。誰に頼まれるでもなく、この碑を守ってくれている人がいる。それだけでも本当に救われた気持ちになります。

この『キカフ慰霊碑』は、道路が新しくなった暁には、その周囲が道の駅のような展望台スポットとして利活用される予定です。慰霊碑を大事にする配慮がさりげなく成されているこの道路計画に、日本とタンザニアの関係者の心遣いをみたような気がしました。

S. H.